2019年7月4日木曜日

忘れられた街道



飯田城下から中山道・妻籠宿をつなぐ重要な街道だったが・・・
 往来を行く旅人の悲喜こもごもが聞こえてきそうな ひっそりと静まる大平街道
 往時の歩く旅人の悲喜こもごもを偲びながら・・・

梅雨時の彩り 紫陽花佇む 中山道・妻籠宿

廃村大平村の小学校分校 多い小学生の歓声が聞こえてきそうな・・
阿寺渓谷を訪ねた後、妻籠宿に寄ってみた。江戸初期、伊那谷と木曽谷を越える街道は無く、塩尻峠を行く中山道、伊那谷から足助から尾張、三河へ行く三州街道の二本でした。江戸時代中期少し前に伊那と木曽宮越宿を開削し権兵衛街道が開通、又 飯田城下から木曽妻籠宿の大平街道が開通された。二本の街道は物量、通行者が一変させ、住人の暮らしは一段と
木造校舎の教室もそのままだった・・・
幸せになっていった。今日はその大きな役目をした二本の街道を越えてみました。権兵衛街道の峠は権兵衛トンネルで あっ と言う前に通り過ぎてしまった。28年前、1991年調査に4日掛けて36km歩き踏査した時の記憶が甦ってきました・・・懐かしい・・・。大平街道も1990年に延べ6日ほど掛けて調査した時、大平村の全村民が移住し廃村となり、すでに17、8年過ぎていたの
飯田峠に佇む三十三番観音仏
街道を行く旅人の安全と悲喜こもごもをじっと見て佇んでいました
に、住民の香りが未だ残っていて、暮らし振りが垣間見えた気がしたものでした。大平街道の宿場として賑わいを見せていた そんな村も飯田線の鉄道が開設し、物量、人の移動は馬、馬車、から鉄道へと  あっと言う間に変遷して、全村へ移住する事になり、権兵衛街道共に大平街道の歴史の道との使命を全うし、忘れられた街道として消えて行ったのでした。木曽側にある大平峠(木曽峠)と飯田側にある飯田峠の間にあった
深緑の森の中に佇む観音様
大平村、飯田城下から飯田峠迄には三十三体観音仏が佇んでいて、旅人の安全と悲喜こもごもを、ずっと優しい眼差しで見守っていました。感慨深い忘れられた街道でした。飯田城下に下り、「あっ そうだ ピカピカの一年生になった詩乃ちゃんに逢って行こう!」て下校時に寄りました。可愛いな・・・。パッとしない梅雨空でしたが充実した街道の旅人でした。
(2019.7.2 翼の折れたエンジェル 飛べない酔いどれ天使)
上村小学校に越境登校している詩乃ちゃんです・・・可愛い。

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